030トカゲラウンジ
ツイッターで川勝正幸氏が「“不機嫌の果てのカラフルさ”とでも呼びたい光がある。」と絶賛していたので、なんて素敵な言葉で評しているのかしら!と思い、打ち合わせの合間をぬって、ジョン・ルーリー ドローイング展を見に久しぶりにワタリウムに立ち寄る。
展覧会とか映画とかってこれは見なければ!と思いつつ見逃したりすると思えば
そんなに興味がなかったのにタイミングよくいろいろシンクロして
見れる事になっていくとあたりだったりする事が多い。
これが出会いというものでしょう。
一見意味不明な絵と一見意味のないような言葉。
こういう作品で戦略的な意図が感じられてしまうと最悪なことになる。
若干私はこの手のはすこし苦手。なのですごく良い、という感想ではないけれど
じっとみているとジワジワと絵と言葉がリンクしてきて
一見斜に構えているようでまっすぐなものを伝えている感じがしてきた。
川勝氏もリンチとのつながりを書いていたが
説明できないけどなんかわかるってくる、という理解の仕方は
デヴィッド・リンチの作品を見て感じるものとと似ている。
こういう意味不明系のものを作る事が私にはできない。いちいち説明的になってしまう。
それは自分には本当の闇がないからだと学生のころから思っていて
コンプレックスの一つだった。
“不機嫌の果てのカラフルさ”とでも呼びたい光、ていうのは
たったヒトコトでとってもステキカク(素敵に的確)に
表現しているなぁと見てみてさらに思った。
この言葉をツイッターでみなければいかなかったもんなぁ。
http://www.johnlurieart.com/art/
写真:
とある場所で飛び込んできた光と窓の構図がめまいがするくらい美しかった。
携帯カメラなのでこの気持ちは10%も再現できてないけど。
(ルールを破ってすいません)